鳴ル銅鑼【前編】 

[2020.5.20 INTERVIEW#01]

鳴ル銅鑼の音楽はアンダーカレント(底流)みたいだ、と。初めて彼らの音楽に触れた時に、そう思った。穏やかに見えた川面にひと度足を差し入れると、一瞬にしてその底流の激しさに足をすくわれ、体ごと絡みとられ、溺れていく。苦しみや悲しみや怒りといった感情が恍惚へと昇華した頃には、大海へと流されていて、その穏やかさとキラメキに言葉を失うのだ。そんな体験をぜひ共有してほしいと思う。
撮影/村井 香 取材・文/大窪由香

PROFILE なるどら●三輪和也(Vo&G)、蒲信介(G&Cho)、グローバル徹(B)、岩田遼平(D)。岐阜県出身。2013年結成。バンド名は映画「愛のむきだし」のワンシーンから取っている。2014年に“RO69JACK JAPAN”に優勝し、“ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014”に出演。2016年に1stアルバム『極彩色』、2017年に2nd『汎神論』、2019年に3rd『和モノ』をリリースした。http://www.narudora.jp/


■アンダーグラウンドがオーバーグラウンドになる瞬間っていうのが

 一番美しいと思っているから、そこを追求したい

──バンドの成り立ちから伺っていきたいと思います。みなさんは地元(岐阜)の同級生なんですよね?

三輪:そうです。細かくはいろいろあるんですが、みんな学生時代の友人です。

──その中で音楽好きが集まった?

グローバル:僕ら世代に楽器をやっている人があんまりいなくて。やっててもやめちゃったりする人が多かったんです。そこで残ったのがこの4人、みたいな(笑)。

三輪:地元に何バンドかいたんですけど、みんないろいろと目が覚めてしまって。で、最後まで音楽をやりたいなと思ってた人たち4人、っていう感じかな。

──それぞれどういうきっかけで音楽を始めたんですか?

グローバル:僕は親が音楽が好きで、その影響でずっとクラシックを聴いてたんですけど、BUMP OF CHICKENを聴いて、バンドかっこいい!と思って。バンドを好きになって、ファンになって、自分で弾いてみよう、コピーしてみよう。そういう入り方でした。

三輪:僕はおじいさんの影響です。有名ではないんですけど芸術家で、それで生活をしている人で。小さい頃からいろんなことを教えてもらったから、僕も芸術家になりたい、表現をする人になりたいと思っていたんです。だけど絵がすこぶる下手で(笑)。それでお金を取ろうものなら、殴られるレベルの絵なんですよ。

グローバル:そんなことないよ。バスキアと大差ないよ(笑)。

三輪:アハハハ。絵は本当に幼児が描いたような絵なんですけど、たまたま歌うことと詩を書くことが得意だった。おじいさんは詩も教えてくれていたんですよ。それで僕にできるのは音楽を使った表現なのかなと思ってやってみたら、だんだんと……あとはほとんど徹くんと一緒で、音楽が得意なんだと自分で認識したら、好きな音楽がわかってきて。それになりたい、自分もそういう人生を生きたいなって。おじいさんが死ぬ時、「いい人生やった」って言って死んだんですよ。「こうやって死ねたら、これ以上の幸せはないからな」って。「その理由は、俺が芸術をやってきたからやぞ」っていう話をされたから、僕もそういう死に方をしたいなと思いました。

──もう人生観になっているんですね。岩田さん、蒲さんはいかがですか?

岩田:僕はゲームでした。ゲーセンに“ドラムマニア”っていうゲームがあって、それがめっちゃうまくて。

グローバル:有名だったんですよ。人だかりができるレベルで。

岩田:それきっかけで、たぶん俺、本物のドラムもできるなと思ったんです。

──実際に本物を叩いてみてどうでしたか?

岩田:全然叩けんかったですね。でも面白かった。それでずっと続けてます。当時のゲームの時のような感覚のまま、いまだに面白いです。

:僕はZONEっていうガールズバンドのDVDを見て、ソロ回しがすごいカッコよくて楽器を始めました。ベースをやりたかったんですけど、初心者セットのベースが高くて。ベースのセットが1万8千円で、ギターのセットが1万2千円だったからギターを買って。

三輪:よく覚えてるな(笑)。でもその差は大きいよね。

:中学生にとっては大きい大きい(笑)。でも、いまだにベースやりたい。

グローバル:好きよね、ベース。

:うん。いまだにベースが一番かっこいいと思う、僕は。

グローバル:ありがとうございます。

:いや、楽器がね。ベースが一番かっこいい。

グローバル:ああ、ベースの存在がね(笑)。

──三輪さんが作詞作曲を始めたのはいつからですか?

三輪和也(Vo&G)

 

三輪:最初に人はコピーをするじゃないですか、ギターを練習するために。僕はギターが苦手で、バレーコードとかセーハするコードが全然できなくて。でも、曲がやれないのはつまらないじゃない。だから最初に自分で弾けるコードだけで、なんとなく作ってみたんです。作ってみたら、自分で作ったほうが今ある音楽よりカッコいいっていうことがわかったんです。自分にとっては、ですよ?一般的にどうかは別として(笑)。僕の中では、僕の一番カッコいいと思う曲が作れるなと思って。それで中学生ぐらいから作ってました。

──たまたま見た動画インタビューで、蒲さんが「僕たちは、和也が作る曲のためにある」みたいなことを言っていて、ここまで言い切れるのはすごいなと思ったんですよ。それ、覚えてますか?

:う〜ん、覚えてないです(笑)。でも、それは今も変わってないと思います。僕も楽曲提供とかはしていて曲は作っているんですけど、メッセージ性とかは特に自分の中にはないから。だから、和也くんがやりたいものをやるのでいいと思ってます。

──鳴ル銅鑼は当初目指していたものってあったんですか?いわゆるプロ志向、メジャー志向だったんですか?

三輪:そんなことなかったです。そういう志向じゃないから今も一緒にやってる。僕たちは地元の友達で、“よし、プロになろうぜ”って組んだわけじゃなくて、“音楽楽しいね”って組んだバンドだから。

:前身バンドの時に、なかなかお客さんがつかなかったんですよ。ライブハウスのブッキングイベントに地元のバンドのトラで出るみたいなことばかりで。なので今度のバンドではちゃんとお客さんをつけたいね、みたいな話はしてました。

三輪:それをやっていくうちに、メジャー志向の音楽をしたい、じゃなくて、自分が作る音楽をメジャーなものにしたいという面白さを僕は見つけて。流れていくもの、そこに混ざることってめちゃくちゃ簡単だけど、そんなに気持ちよくないじゃないですか。自分が提示したものが、たとえ数は少なかったとしても、誰かに認められた時に喜びは感じられるもの。その楽しさに気付いた。アートは絶対にそれに左右されてはいけないことだから、メジャー志向とかプロ志向っていう言葉自体あんまり好きじゃないんだけど、アンダーグラウンドがオーバーグラウンドになる瞬間っていうのが一番美しいと思っているから、そこを追求したいなあっていうふうに、マインドがだんだんそうなっていったんですよ。どこまでをプロというのかはわからないけれど、最初は楽しくやっていた音楽を、プロとしてやっていくことに美学をすごく感じています。そうじゃないなら他の表現でもいいかなと思う。人が作ったレールに乗るのであれば。

──なるほど、鳴ル銅鑼の核の部分を今伺った気がします。あと、さっきも言った動画インタビューで印象的なエピソードだったんですが、徹さんがヴァイオリンを売ってレコーディング資金にしたと。

蒲信介(G&Cho)

グローバル:ただのアホです(笑)。もっと働けばよかった。それだけです。

:結局バレたの?

グローバル:いや、わかんない。

三輪:じゃあインタビューに書いちゃダメなんじゃないの?

グローバル:もういいよ(笑)。

:あれ、いつ買ってもらったの?高いでしょ?

グローバル:大学時代にオーケストラに所属させてもらった時に買ってもらって。入学祝いですね。値段がどうというより、最初に「頑張れ」って買ってもらったもので、4年間使った青春の思い出だったんですけど。

:徹くんは大学入ってオーケストラに入ることになって、しかもヴァイオリンの工房に就職も決まってたんですけど、このバンドでリハに入り始めて、確か4、5回目ぐらいの時に、「内定蹴ったわ。バンドやる」って言い出して。相談もなしにか、と思って(笑)。

グローバル:もっとやり方あったやろう?って(笑)。

:で、さっき言ったみたいにガチガチにプロ志向でやるとかそういうわけじゃなかったから、僕も専門学校に通い始めてて、服のパタンナーをやりながらバンドやっていければいいなと思ってたんですよ。そしたら内定蹴ってきたっていうから。

グローバル:でも、後ろ向きではないんですよ、全然。前向きにやってましたから。

岩田:鳴ル銅鑼が始まった時期が、あと3カ月ぐらいで大学を卒業するぞっていうぐらいのタイミングだったんで。

:それで、遼平も就活してね。面接の話がめっちゃ面白いんですよ。

岩田:飛行機とかのネジとかパーツを作る工場で。ネジに対する、製造ラインに入ることに対する思いを聞かせてくださいって言われたんですよ。だから「特にないです、ネジはネジです」って。周りのやつらはテンプレートなことを言うんですよ。「1本1本を大事に。一つのパーツがすべてを壊すこともあります」みたいなこと言うんですけど、そうかな?って。そしたら落ちましたね。

三輪:いや、お前が正しいよ。

:俺も遼平が正しいと思う。別にネジをディスってるわけじゃないですよ。

グローバル:遼平が面接官だとしたら、こいつ面白いと思うような回答をしたんだよね。

岩田:そうそう。そういうことなんですよ。正直な気持ちを言って、それで採ってくれたら男気があるじゃないですか。でも落ちちゃったんで、俺には向いてないなと。とりあえずバンドで暇つぶししようと思っていたら、いい感じに軌道に乗り出して。フェスとかにも出れて、俺はやっぱりこっちだなと。

──2014年にROCK IN JAPAN FESTIVALに向けたコンテスト“RO69JACK 2014”で優勝をして、フェスに出演したんですよね。結成一年で。それが一つの転機だったのかなと。

:確実に転機でしたね。人生の生活の何%かはわからないけど、大きな部分をバンドが占めていくんだ、みたいな。マインド的にそういう感覚はあったかもしれない。

三輪:簡単に言えば気持ちよかったんだと思います、4人とも。大きな舞台でやったことも、そのあとに付随していくワンマンがうまいこといったこととか、そういうことが自分たちが想像していたよりも気持ちよくて。人前で演奏をして、それを受け入れてもらえるということが。それに結構やられたというか。いいエネルギーを受け取ったのかもしれない。

岩田:その時は調子がよかったんですよ。いろいろとトントン拍子に決まっていったんで。

──岐阜から東京に出てきたのはいつのことですか?

:ちょうど4年ぐらい前。2016年の8月1日に出てきた。

三輪:『文明開化』(2016年10月)のレコーディングは終わってましたね。

──地元在住で活動しているバンドもいる中で、東京に出ようと思ったのはどうしてですか?

三輪:名古屋のクアトロ公演が終わって、僕が最初に東京に行きたいという話をして。バンドとか歌をやる人はみんな東京に行くじゃないですか。で、みんな東京の曲を書いたりするじゃないですか。なんでそんなに、こだわるのかなあって。それは住んでみないとわからない。その好奇心が消えなくて、東京に行きたいという話をして。メンバーは最初、急なことだし環境を変えるって大きなことだから、どうしようかなってなってて。

:俺は大反対してました。でも和也は一人でも東京に行くって言ってて。

三輪:バンドをやめて東京に行くということではなくて、僕は知りたかったんですよ。都会というものを。僕は岐阜のライブハウスで働いていて、どこかの居酒屋に飲みにいけば、誰かが僕のことを知っている。岐阜なんてすごく人が少ないから。「鳴ル銅鑼のボーカルさんですよね?和也さんですよね?」って言われるのがすごく恥ずかしかった。岐阜を出たら誰も僕のことを知らないのに、岐阜にいたら毎日誰かに話しかけられる。その時に、このままだとめっちゃ寂しい人生やなあと思ったんです。もっと広い世界を知りたいなと思って。バンド以前に個人として、自分の小ささをよく知ってから大人になりたいと思いました。

岩田:なので、しゃあないなあって。

三輪:フフフフ。

──「しゃあないなあ」で、みなさん決断されたんですか?

岩田:徹くんも行くって言い出したんですよ。

:深夜2時半ぐらいに徹くんから駅前のガストに呼び出されて。「俺、和也について行くわ」って言われて。

グローバル:俺は2人に、「俺は行くわ」宣言したわけじゃなくて、「行こう?」っていう感じで誘いました(笑)。ダメやったら帰ろう、苦しくなったら帰ればいいから、とりあえず一回やってみようって。僕自身も東京や大阪でライブしていろんな人に出会って、好奇心もあったから。「和也はブレんよ」と説得して。そしたら「しゃあないなあ」って来てくれた(笑)。

岩田:たぶん岐阜に残っていたら、ドラムを叩ける場所って限られてたと思うんですよ。ドラムは一人じゃあんまりパワーが出ない。だから「しゃあないなあ」って。

:いやもう、どうしようもないって。

岩田:アハハハハハ。「しゃあない」と「どうしようもない」。

:遼平が先に折れたから、じゃあもう俺、どうしようもないじゃんって。岐阜にいた時の生活が普通に幸せだったから、今のこの幸せを手放してまで東京に行くべきか?と。僕は利己的に考える人間なんで。もともと団体行動が苦手なんですよ。だから高校も中退してたのに、もう本当に団体行動するって大変なんやなってその時は思いました。でもまあ、今東京に来て幸せに生きてるし、面白い生活してるからいいかなと。

グローバル徹(B)

──東京に出てきて、作る音楽や出てくる言葉は変化しましたか?

三輪:もちろん。僕はめちゃくちゃ東京に出てきてよかったなと思ってて。徹くんが言ったように、困ったら帰ればいい。帰る場所はある。その保険があるうちに、いろんなことを体験しないと意味がない。いいことも悪いこともいっぱい知れば知るほど、最後の瞬間には幸せを感じられる。東京に来て、すごく悔しい思いもした。嫌なこともあった。でも嬉しいこともあった。で、東京は自分が思っていたほど厳しい世界じゃなかった。その反面、自分が思ってたより厳しい世界でもあった。自分の人生が大きく広がったら、その分選択肢が増えるじゃないですか。僕自身も3人も、まだ他にもやれることがあるって、東京に来たから見えてきたはずなんです。それが僕は一番豊かな人生だなと思っていて。音楽で、鳴ル銅鑼で、4人で絶対にこれで!ってことじゃなくて、友人として4人で広い世界を見て、思いっきり遊んで生きたい。それを4人共通で叶えられるのが音楽だから、それをやるべきだと思う。東京に来て、考え方も変わりましたよ。普通に働いている人やサラリーマンのことを、“一般の人”“普通の人”っていう言い方をしなくなりました。岐阜にいた時は自分は普通じゃないって思っていたけど、めっちゃ普通だし、逆にめっちゃ普通じゃないし。みんな普通なんてないんだってことがわかったし。それはすごい進歩でした。満員電車も乗ってよかった。岐阜にいたら一生乗らなかった。すべてにリスペクトできるようになったから、来てよかったなと思います。

──上京した後に出来たアルバム『汎神論』(2017年9月)は、東京に出て来てなかったら生まれてこなかった作品ですよね。

三輪:本当にそうです。『汎神論』は東京に出て来て辛いっていう気持ちだけを詰め込んだような(笑)。今聴いても胸が痛くなるような。4人で一緒に住んでた時に制作した作品で。状況が変わって、メンバー間の関係値もずれてきていたし。それぞれが新しい環境に面食らっていたんですよ。馴染めないというか。でもあの辛い時期があったから、楽しいと思えることも増えたし。僕はたぶん貪欲で、安定したことが苦手な人で、いいことも悪いことも知りたい。それに“しゃあないな”とか“どうしようもないな”っていう気持ちで3人は付き合ってくれたというか。たぶんそういう感じなんだろうなと思っていたんですけど。

岩田遼平(D)

──蒲さんがメンバーに「やめたい」と言ったのは、その辛い時期の間のお話ですか?2018年の下北沢SHELTERワンマンの時のMC中に、そんな話があったというお話をされていて、その時は驚いたんですが。

:あ〜、ありましたね。でもなんか、そういうマイナスな記憶が結構消えてるんですよ、頭の中。なんでそう思ったのか忘れたなあ。

──その時は深刻な思いだったんですか?

:いや、相当深刻だったと思いますよ。

三輪:蒲くんはね、たまにやめたいって言うんですよ。前のバンドの時もやめたし、やめる時はやめるし、やる時はやる人なんです。蒲くんにやめたいって話をされた時、前身のバンドの時は、どうしよう?って思ったんですけど、彼を知っていくうちにだんだん、あ、今はやりたくないんだなって(笑)。その時その瞬間の自分の感情が最優先だから(笑)。でも、それでいいと思ってる。

:僕みたいな保守的な人間は、きっとこういう開放的な人と付き合わないと、景色が広がらないんだと思います。ただ、それには自分の保守的な部分を捨てなきゃならなくて。和也とつるむようになってなかったら、たぶんずっと岐阜にいます。

岩田:うん、たぶん俺も。

三輪:なんかごめん(笑)。

:でも結果面白かったからいいやって。人生ってなんとでもなるっていうことがわかった(笑)。だから今は上京してよかったと思ってますよ。でも最初は思いませんでした。もう辛くて辛くて。ライブも年間100本以上やってたから、アルバイトをする時間もなくて、お金もなかったし。

三輪:一年ぐらいは、なんで来ちゃったんだろうっていうのと、なんで連れてきちゃったんだろうっていう申し訳なさもいっぱいあって。どうしよう、どうしようってできたのが『汎神論』だったんですけど、それも無駄じゃなかったなって。今となっては作品がちゃんと出来て、どんなに辛くても作品を世に出すということをする人たちだったから、この選択は間違いじゃなかったなって思う。

グローバル:『汎神論』のマスタリングした音をみんなで聴いた時に、報われた気がしました。ああ、来てよかったなって。

──昨年出したアルバム『和モノ』(2019年7月)はちゃんとそこから抜けていたし、『汎神論』の時は“僕の思い”がメインだったけれど、『和モノ』は“僕たち”にまた戻ったな、という印象がありました。

三輪:それはそうだと思う。上京して時間も経って、それぞれが居場所を見つけて、『汎神論』の時みたいな“俺はどうすれば?”っていうところから、“みんなでどうしようか?どんな世の中にしようか?”っていう提案ができるようになって。『汎神論』の時の自分よりは、客観視できるようになったなと思います、自分のことを。冷静に物事が見られるようになったので、いいと思うことを徹底的にやりまくるのがベストかなと。それで『和モノ』を作りました。

──今、バンドのマインドはいい方向にありますか?

三輪:どうでしょうね。少なくとも以前よりは、みんなが自由になっていると思います。

グローバル:それぞれがそれぞれを認めている状態ですね。

三輪:そうだね。それぞれが独立した技術と才能を持っていて、その上で4人が集まっているんだっていう認識になりました。一つ一つが4つあるっていう方が強いんだということに気がつきました。

 

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2019年10月11日東京キネマ倶楽部で行なわれた鳴ル銅鑼“和モノノ化ケモノ”千秋楽公演でラストに演奏された「アステロイド」のライブ映像。この「アステロイド」のオリジナル音源が収録された1st EP「無知」は、下記リンクよりサブスクリプション&ダウンロードで配信中。

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